2009年の自民党下野以来、私は講演や執筆で自らの考えを表わすことを控えてきました。
これは保守政治を守ることを本懐としてきた自分を顧みる時間であったのですが昨今の状況に黙していることは難しくなってまいりました。
湘南工科大学総長としてだけでなく糸山英太郎の私見も交え学生諸君・ご父兄の皆様・大学教職員などすべての学校関係者へ私の思いを伝えたいと考えました。月に一度のメッセージをご覧いただき私の所信をご理解いただければ幸いです。
まずは災害によって根底から揺らいでしまった原子力発電所の安全性について日本は如何に処すべきか私の思うところを伝えます。
そもそも私が政治に興味を持ったのは18歳、日本は六〇年安保真っ盛りでした。
当時、日本の安全保障について真剣に考えていた私は軍事的安全保障だけでなく資源エネルギーの安全保障にまで思いが及んでいました。
その時、日本の国策として避けて通れない最先端エネルギーに原子力があったことは言うまでもありません。
日本初の原子力発電は1963年、茨城県東海村に建設された東海発電所であり、時の科学技術庁長官・原子力委員会委員長は中曽根康弘氏でした。
中曽根氏と伯父笹川良一、義父笹川了平は大変親しく、日本の原子力政策について私は多くの話を聞かされました。
その後、国会議員となった私は一貫して日本のエネルギー政策の一つに原子力は必要であるとの立場をとってきました。
科学技術の進歩が日本国民の生活を豊かにしていく、さらに湘南工科大学を統べる立場になってからはそれに携わる技術者を育てることが社会貢献であると信じてきたのです。
科学技術を突き詰めていくと人類が手にする利益と不利益のバランスに悩まされますが、極限までその技術の信頼性を高めて折り合いをつけることが技術の実用化です。
しかし、今回ばかりは原子力発電という高度な技術に対する地震大国日本の折り合いのつけ方に間違いがあったと認めなければならないでしょう。
当然、原子力というものに長年縁を持ってきた私は今深い思索を強いられています。
原発反対の市川房江女史に仕えた菅直人首相が原発事故に翻弄されていますが、これは全く皮肉な話としか言いようがありません。
日本人は原子力発電という極めて高度な科学技術と如何に共生すべきなのでしょうか。
完璧な科学技術というものが存在しないことを前提にすれば、不測の事態に対する準備つまり安全を確保する技術を高めるほかありません。
自然災害、装置の不具合、人間のミス、外的攻撃などへの安全マージンを、お金と手間をかけて大きくするのです。
つまり合理性のある発電コストはこれまでよりも高いものになるでしょう。高価な電力を愛しみながら利用することに理解を持つ必要があるのです。
さらに今回の災害による原子力発電所事故が私たち日本人に与えた教訓はあまりにも多く、深いものばかりです。
ほんの40年前の日本は扇風機だけの電車に汗をかいて乗っていたし、大量の自動販売機も携帯電話もありませんでした。
日本人として際限なく快適性を追求することに疑問を持たねばならないときに来ているのではないでしょうか。
人類の歩みというものは立ち止まることが許されませんが、我々日本人にとって今はゆっくり彼方を眺める時間なのかもしれません。
50基以上の原子力発電所が日本の電力の30%を担っていることの是非を考え、あらゆる科学技術に過剰な依存をしないという覚悟を日本人が持った時に、新しい日本が動き出すと考えています。
湘南工科大学
総 長 糸山 英太郎
追伸
本学の安全確保については施設の耐震化は10年以上前から行っており、大地震・災害対策の行動マニュアルも作成しています。また、様々な災害に対応した避難訓練も計画しております。
学生諸君は学生証と一緒に災害・緊急時対応カード(水に濡れても破れない特殊な紙で製作)を携帯しています。
また、電力の確保には4号館屋上に大規模なソーラーパネルが備わっています。
学生の安全を守ることに力を惜しむようなことがあってはなりません。本学はこれからも学生の安全確保にはさらなる努力をしていきます。
これは保守政治を守ることを本懐としてきた自分を顧みる時間であったのですが昨今の状況に黙していることは難しくなってまいりました。
湘南工科大学総長としてだけでなく糸山英太郎の私見も交え学生諸君・ご父兄の皆様・大学教職員などすべての学校関係者へ私の思いを伝えたいと考えました。月に一度のメッセージをご覧いただき私の所信をご理解いただければ幸いです。
まずは災害によって根底から揺らいでしまった原子力発電所の安全性について日本は如何に処すべきか私の思うところを伝えます。
そもそも私が政治に興味を持ったのは18歳、日本は六〇年安保真っ盛りでした。
当時、日本の安全保障について真剣に考えていた私は軍事的安全保障だけでなく資源エネルギーの安全保障にまで思いが及んでいました。
その時、日本の国策として避けて通れない最先端エネルギーに原子力があったことは言うまでもありません。
日本初の原子力発電は1963年、茨城県東海村に建設された東海発電所であり、時の科学技術庁長官・原子力委員会委員長は中曽根康弘氏でした。
中曽根氏と伯父笹川良一、義父笹川了平は大変親しく、日本の原子力政策について私は多くの話を聞かされました。
その後、国会議員となった私は一貫して日本のエネルギー政策の一つに原子力は必要であるとの立場をとってきました。
科学技術の進歩が日本国民の生活を豊かにしていく、さらに湘南工科大学を統べる立場になってからはそれに携わる技術者を育てることが社会貢献であると信じてきたのです。
科学技術を突き詰めていくと人類が手にする利益と不利益のバランスに悩まされますが、極限までその技術の信頼性を高めて折り合いをつけることが技術の実用化です。
しかし、今回ばかりは原子力発電という高度な技術に対する地震大国日本の折り合いのつけ方に間違いがあったと認めなければならないでしょう。
当然、原子力というものに長年縁を持ってきた私は今深い思索を強いられています。
原発反対の市川房江女史に仕えた菅直人首相が原発事故に翻弄されていますが、これは全く皮肉な話としか言いようがありません。
日本人は原子力発電という極めて高度な科学技術と如何に共生すべきなのでしょうか。
完璧な科学技術というものが存在しないことを前提にすれば、不測の事態に対する準備つまり安全を確保する技術を高めるほかありません。
自然災害、装置の不具合、人間のミス、外的攻撃などへの安全マージンを、お金と手間をかけて大きくするのです。
つまり合理性のある発電コストはこれまでよりも高いものになるでしょう。高価な電力を愛しみながら利用することに理解を持つ必要があるのです。
さらに今回の災害による原子力発電所事故が私たち日本人に与えた教訓はあまりにも多く、深いものばかりです。
ほんの40年前の日本は扇風機だけの電車に汗をかいて乗っていたし、大量の自動販売機も携帯電話もありませんでした。
日本人として際限なく快適性を追求することに疑問を持たねばならないときに来ているのではないでしょうか。
人類の歩みというものは立ち止まることが許されませんが、我々日本人にとって今はゆっくり彼方を眺める時間なのかもしれません。
50基以上の原子力発電所が日本の電力の30%を担っていることの是非を考え、あらゆる科学技術に過剰な依存をしないという覚悟を日本人が持った時に、新しい日本が動き出すと考えています。
湘南工科大学
総 長 糸山 英太郎
追伸
本学の安全確保については施設の耐震化は10年以上前から行っており、大地震・災害対策の行動マニュアルも作成しています。また、様々な災害に対応した避難訓練も計画しております。
学生諸君は学生証と一緒に災害・緊急時対応カード(水に濡れても破れない特殊な紙で製作)を携帯しています。
また、電力の確保には4号館屋上に大規模なソーラーパネルが備わっています。
学生の安全を守ることに力を惜しむようなことがあってはなりません。本学はこれからも学生の安全確保にはさらなる努力をしていきます。


