2.田鶴浜スポーツクラブの歩み (1) 設立の背景 (2) 転換点となった2004年 (3) 発展と現在の取り組み 現地調査の様子1 1990年代後半、田鶴浜町(現・七尾市田鶴浜地区)では少子高齢化や過疎化が進み、地域活性化が大きな課題となっていた。住民が世代を問わずスポーツを楽しめる場が求められるなか、健康づくりやコミュニティ形成を促進する施設の必要性が高まっていた。ちょうどその頃、文部科学省(当時は文部省)が「総合型地域スポーツクラブ」制度の推進を始めた。この流れを受け、県に出向していた市の教員がクラブ設立を担当し、田鶴浜がもともとスポーツの盛んな地域であったことも追い風となった。また、バブル経済の崩壊による経済状況の悪化などの影響に伴い、県や町の財政状況は厳しさを増し、補助金の見直しが進められ、打ち切られる時期と重なった。 当時の文部省(現在の文部科学省)のスポーツ振興基本計画の要点には地域におけるスボーツ環境の整備充実において生涯スポーツ社会の実現のため、できるかぎり早期に成人週1回以上のスポーツ実施率が50%になることが掲げられた。政策目標達成のため、必要不可欠である施策に至っては総合型地域スボーツクラブの全国展開に向けて10年間で全国の各区市町村において少なくとも1つは設立し、将来的には中学校区内に設立することが示された。 このような政策方針に対し当町が賛同し、「いつでも・どこでも・誰でも」を念頭に、福田教導田鶴浜教育長をクラブ会長に据え、総合型地域スポーツクラブ育成モデルとして認定され、1999年10月に「田鶴浜町スボーツクラブ推進協議会」が設立された。 2004年、小学校の統廃合が行われ、地域が一つにまとまる大きな転換点を迎えた。この変化に伴い、福田氏(当時の教育長)、柘植英一氏(当時の教育委員長)、山口進氏(当時の教育委員会事務局長)、そして事務局を務めた長田次夫氏らが連携を強化し、スポーツクラブの体制整備が進められた。 同年、こうした組織基盤の強化を受け、「田鶴浜町スポーツクラブ推進協議会」は「田鶴浜スポーツクラブ」へと改称し、新たな体制のもとでの運営が本格化した。また、同年10月1日には田鶴浜町が七尾市と合併し、「自分たちの地域は自分たちで支える」という意識が高まるなか、スポーツクラブの役割も拡大していった。クラブは単なるスポーツ振興にとどまらず、地域課題の解決にも積極的に取り組むようになった。具体的には、ボランティアによる環境整備、地域の人材と連携した子育て支援、中学校クラブ活動との連携強化など、スポーツを基軸としながら多岐にわたる活動が展開された。 クラブ運営においては、設立10周年や20周年といった節目ごとに、地域住民や行政関係者を交えた記現地調査の様子2 42
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