うになった。当初はSNSで呼びかける形だったが、多くの住民が賛同し、年間7回程度の作業が継続されるようになった。この活動はスポーツ環境の改善だけでなく、住民同士の協力意識を高め、地域の環境意識向上にも寄与している。コロナ禍においても地域の活気を維持するため、106周(42.195Km)を走るマラソンイベントを実施。地元のランナーや子どもたちが参加し、オンラインを活用した情報発信も進められた。こうした工夫により、困難な状況下でも地域の結束が維持された。 クラブ運営において長田氏は、設立当初、スポーツ振興くじ助成金の補助が圧倒的な比率を占める運営をしていたことなどを振り返り、「身の丈に合わない過度な補助金依存をしないことが大事」と語る。この方針のもと、公的支援に頼りすぎることで組織の柔軟性が損なわれるリスクを避け、市の予算と自主事業の収益を適切に組み合わせる仕組みを構築。安定した運営を維持しつつ、地域の実情に即した事業展開を進めている。 また、地域のスポーツ振興にも力を注いできた。その一環として、著名な選手を招いたスポーツクリニックを継続的に開催し、特にバスケットボールでは20年以上の実績を誇る。この取り組みは、単なる競技技術の向上にとどまらず、子どもたちに夢や目標を与え、スポーツを通じた人材育成の場ともなっている。 クラブの発展を支えているのが、定期的な活動の振り返りと方針の見直しである。設立10周年や20周年といった節目には、地域住民や行政関係者を交えた記念式典や活動報告会を開催し、成果や課題を共有する機会を設けてきた。こうした場を通じて、クラブの方向性を地域とともに確認し、さらなる発展へとつなげている。 長年にわたる取り組みにより、田鶴浜ではスポーツを通じたまちづくりの基盤が着実に築かれてきた。その中で、地域にとって大きな転換点となったのが、2022年にプロバスケットボールチーム「金沢武士団(かなざわサムライズ)」のBリーグ練習拠点が移転されたことである。「話が持ち上がった当初は、こんな小さな町に本当に来るのだろうかと思ったが、選んでくれたからには俺らも頑張らんな」と、内田氏は当時の心境を振り返る。田鶴浜スポーツクラブ側からの積極的な誘致ではなかったものの、この地域が選ばれたことは、スポーツを軸とした地域の確かな実績とさらなる発展の可能性が評価された証でもある。 プロチームとの協働は、単なるスポーツ振興にとどまらず、地域全体のあり方を見直す契機となった。地元住民と選手の交流が深まり、地元でバスケットボールをしている少年が憧れの選手と兄弟のような関係を築くなど、新たなつながりが生まれた。そして、こうした信頼関係や活動基盤があったからこそ、震災時にはスポーツクラブが金沢武士団とも連携しながら迅速に対応することができた。金沢武士団は、震災発生の翌日から避難所となった田鶴浜体育館で炊き出しを開始し、地元の人々のために約2ヵ月にわたり、ほぼ毎日1日2食を提供した。さらに、がれきの撤去や健康体操といった支援活動も積極的に実施した。これにより、スポーツ活動団体が防災・福祉・教育といった分野との結びつきを強める契機となり、クラブにとっても地域との連携をさらに深化させる重要な転換点となった。 金沢武士団のメンバー (2)地域の未来を支えるクラブ運営と人材育成 (3)スポーツを活かした地域連携の強化と新たな転機 45
元のページ ../index.html#48