2 石原光彩・山田一隆(2024)社会に開かれた教育課程」を支える公民館活動の実践過程―複線経路・等至性アプローチを 内田氏は、当時から、旧田鶴浜町時代からの体育指導員(現スポーツ推進委員)のみなさんは、体育館などの各競技クラブの指導員を務めるとともに、各学校のPTA活動を中心的に担うなど、競技者(児童・生徒)の育成・指導だけでなく、地域社会の担い手としての役割も担ってきたと語っていた。実際、田鶴浜スポーツクラブが設立して以降、体育指導員のスポーツクラブへのコミットメントは減少したものの、各競技指導者がクラブの理事を務めており、現職・歴代の理事が、田鶴浜地区のスポーツをはじめとした各種行事・祭事の運営の支え手として、大いに活躍している。 このようにみてくると、田鶴浜スポーツクラブの各競技指導者は、当該競技者(児童・生徒)の育成・指導だけでなく、各学校のPTA活動にも中心的に関わっている者が少なくない。従前の地域社会組織における研究では、PTA役員を契機に、消防団、青年会・壮年会、町内会・自治会といった地域社会を構成する地縁団体の中心メンバーとして参加していく「人材供給システム」のようなものが機能していることが指摘されている(例えば、石原・山田(2024))2。当地では、それを補完ないし豊富化する役割を、体育指導員時代から競技指導者が担ってきたとみることができる。また、こうした地域社会組織の中心人材が、重層的に育成されることで、地域社会の複合的な課題に取り組む際にも、問題意識を共有しやすい関係性が醸成されやすいとみられる。そのうえ、競技指導者が、別の組織や活動においては、必ずしも指導的役割を担うわけでもないことから、地域社会においては、状況に応じた「フォーメーション」の変更がなされ、リーダーシップが発揮されているものとみられる。 震災後の復興支援と地域づくりにおいて、ボランティアの力と住民の協力は極めて重要な役割を果たした。発災直後から、地域の課題に即した柔軟かつ迅速な対応が行われ、住民同士のつながりが強化され、地域社会の再構築が進められた。特に震災直後には、「奇跡の2ヵ月」と称される温かい避難所運営が実現した。その背景には、石川県第1号の総合型地域スポーツクラブとして培われてきた住民の結束力と支え合いの文化があり、この長年の積み重ねが災害時の迅速な支援活動へとつながった。 震災は地域運営にも大きな影響を及ぼした。役員の中には家を失い、地域活動の継続が困難な状況に直面した者もいた。しかし、長年培ったマネジメント手法とリーダーシップを活かし、住民の協力を基盤に支援の輪が広がり、地域ボランティア活動が推進される力となった。 田鶴浜スポーツクラブは、七尾市の防災拠点には指定されていなかったものの、住民やボランティアと連携し、被災地域のニーズに即応して短期間で具体的な支援策を講じた。そして指定緊急避難場所かつ指定避難所として地域の実情に即した支援が行われ、住民は自らの手で復興の一歩を踏み出すことができた。また、震災を契機に住民同士のつながりが一層強まり、互いに助け合うネットワークが形成された。特に、地区内の高校に看護衛生科があったため看護師資格のある住民が多かったこともあり、相互にLINEなどを活用した迅速な情報共有が地域活動の効率化に大きく寄与した。 一方で、外部からの支援も復興を後押しする重要な要素となった。大学や他の自治体、企業など、これまで関わりのなかった機関との連携が生まれ、支援の輪が広がった。しかし、外部支援に頼るだけでは持続的援用した仮説的検討―,日本福祉教育・ボランティア学習学会第30回とうきょう大会ポスター発表 4.災害と復興を通じて見えたスポーツクラブの可能性 (4) 地域との関わりを通じて生み出される重層的な人材体制 (1) 『奇跡の2ヵ月』を支えた地域力-ボランティアと住民協力の重要性- 46
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